Former PM Ariel Sharon passes away

イスラエル元首相 アリエル・シャロン氏死去

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    2001年~2006年にイスラエル首相を務め、同国の外務大臣にも就任した政治家、アリエル・シャロン(Ariel Sharon)元首相が1月11日死去しました。85歳でした。

     
    ビニヤミン・ネタニヤフ首相は、「アリエル・シャロン元首相の死に、イスラエル代表として追悼の意を表す。彼は、イスラエルの安全のために常に全力を尽くしてきたリーダーだった。彼の功績は、イスラエル国民の心に永遠に記憶されるだろう」とコメントしています。
     
    またシモン・ペレス大統領は、「わが友、アリック(”アリエル”の愛称)よ。彼は国を愛する勇敢なリーダーであり、また国も彼を愛していた。難しい判断を下し、それを実行に移す方法を心得ていた。私たちは、大切な人を失った」と哀悼の意を捧げました。
     
     
    【アリエル・シャロン氏 略歴】
     
    イスラエル国外務大臣 1998年~1999年
    イスラエル国首相 2001年~2006年
     
    14歳で当時のハガナー(後のイスラエル国防軍)に入隊。
    1948年の独立戦争では、歩兵部隊を指揮した。
    1953年、”101”特別部隊を率いて対テロ軍事作戦を決行した。
    1956年には司令官に任命され、シナイ作戦(第二次中東戦争)で戦った。また1967年の第三次中東戦争においては、機甲師団司令官として活躍した。

    1673年に一時退役するが、同年10月のヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)に際に復帰し、再び機甲師団を指揮し、スエズ逆渡河作戦を成功させた。これが後に、エジプトとの和平構築のきっかけとなる。

    1981年に、国防相に就任。
    レバノン戦争では、PLO(パレスチナ解放機構)が支配するレバノン南部へ侵攻し、PLOを首都ベイルートから撤退させることに成功した。
    外交の面では、第四次中東戦争時より絶たれていたアフリカ諸国との外交関係再樹立を積極的に進めた。
    1981年にはアメリカとの間の戦略的協力合意に署名し、両国の国家安全保障について話し合いを継続し、協力を拡大する枠組みを策定した。また、エチオピアとスーダンのユダヤ人をイスラエルへの帰還を実現させるための手助けも行った。
     
    1999年にエフード・バラク氏が首相に就任した際、彼はリクード党の党首に任命された。
    そして2001年2月6日、首相に就任した。

    シャロン氏が首相に選ばれた際、政府は方針としてパレスチナとの積極的な和平の構築を明言していた。
    2003年5月には、中東和平の行程表として、アメリカからイスラエルとパレスチナ自治政府に提示されたロードマップを受け入れた。
    翌2004年、ガザ地区とヨルダン川西岸地区からの撤退計画を発表し、パレスチナとの平和構築に一歩を踏み出した。
     
    2006年1月4日、在任中に脳卒中で倒れる。前年に中道新党のカディーマを設立してすぐのことだった。意識不明に陥ったアリエル・シャロン首相に代わり、カディマ党首のエフード・オルメルト氏が首相に任命された。
    その後8年間昏睡状態が続き、2014年1月11日、オムリとギルアドという2人の息子を残し、85歳で生涯を終えた。
     
    アリエル・シャロン元首相の逝去に伴い、駐日イスラエル大使館において弔問記帳を受け付けております。
    日時:2014年1月14日(火)、15日(水) 14:00~17:00
     
    ※記帳ご希望の方は、以下の必要事項を明記の上、あらかじめメールにてお知らせください※
    ・氏名
    ・電話番号
    ・身分証明書番号(免許証、パスポートなど)
    ・大使館への訪問時間