1year-after-earthquake

栗原市長よりイスラエル医療団への賛辞をいただきました

  •   東日本大震災1周年 支援感謝レセプションに於けるスピーチ
  •  
     
     
    312日、東日本大震災から1周年の機に、世界各国からの被災地への支援に対して謝意を伝える外務大臣主催のレセプションが、外務省関係者と各国大使の出席のもと都内で開かれました。
                             
    ゲストスピーカーとして招かれた宮城県栗原市の佐藤勇市長は、震災直後、イスラエル医療支援部隊が南三陸町に派遣される道を開くまでの経緯、また部隊の滞在中のエピソードなどについて、次のように話されました。
     
                                                 

                                           
    「このたび、イスラエルの医療支援チームが震災後宮城県の南三陸町において医療支援活動を行った際に、コーディネートの役割を担ったことで、今回お話をさせていただきます。
     
    震災が発生して一週間ほど経過し、市民の安全確保に一定の目処がついた時、宮城県北部の津波被害を受けた自治体を視察し、病院機能が全て失われ、被災者が厳しい避難生活をしている南三陸町に対し、緊急の医療支援が不可欠であると考えました。
     
    時期を同じくして、イスラエル大使館から医療支援部隊を派遣したいとの申し出があり、南三陸町長に支援受け入れの確約を得た上で、平成23327日より410日まで、イスラエルの医療支援チームが南三陸町で活動するための準備と後方支援を行いました。
     
    私は、イスラエル医療支援チームの『全力で被災地を支援する。』という意識の高さに感銘を受けました。チームが活動していた47日の深夜に、栗原市は、震災後の余震では最大の震度六という揺れに襲われたのです。チームが滞在していた市内のホテルも被害を受け、南三陸町までの道路も通行できる状態かどうかわからない緊迫した状況になっていました。私としては、少し現地の情報を収集するため、少し様子を見たほうが良いのではないかと思っておりましたが、チームのリーダーは、『このような時こそ、現地の被災者は支援を必要としているはずだ。』と言い、仮眠後の早朝に、いつもと変わらずチームは現地に向かい活動したのでした。
     
    チームが任務の全日程を終え、南三陸町を離れるときに、現地の子ども達が去ってゆくチームのバスに涙ながらに手を振る姿を、私は忘れることができません。
     
    最後になりますが、私から、南三陸町長に代わり、イスラエル医療支援チームとイスラエル大使に感謝申し上げます。イスラエル医療支援チームによる、心が通った温かい支援、本当にありがとうございました。」
     
  •